私は趣味は何ですか?と聞かれると
ゴルフと子供の教育と答えます。
なぜか理由はわからないのですが子供の教育に
すごく興味があって重要な意思決定は子供の教育に
とって良いのかどうかを考えている自分がいます。
例えばシンガポールに移住をしたのは
子供の教育のためです。
長女(10歳)が年中(5歳)の時に小学校受験をしようという
話になり、小学校受験のための塾に通っていました。
その塾で授業参観的なものがあり、たまたま奥さんが
参加できないスケジュールだったので、
私が行く機会がありました。
実際に参加することでどんな塾なのかということや
どんな人がいるのかということはよくわかりました。
わかった上で思ったことはうちの娘はここにいてはダメだ
ということです。
名古屋という土地柄で小学校受験の選択できる学校というのは
限られていて、この小学校に行ったらこの中学校に行って
その後はこの高校で大学は数校の中から選択するみたいな
感じになっていて、娘が大学生になるのはこういうプロセスで
こうなるんだなーというのが見えてしまった時にこれはダメだと
思ってしまったのです。
別の角度では私自身が個性的なキャラだと思うところもあり
娘もその血をキチンと継いでるなと感じることが多々あったことも
あり、お受験をしてレールに乗せるというのは向いてないだろうと
思うことありました。
そこから私は娘にどういう環境を提供すべきなのか?
を自問自答するようになり、行き着いた答えが
シンガポールへの移住でした。
なぜシンガポールにしたのか?
それは私が初めてシンガポールに来たのが2016年12月。
仕事の関係の人と来たのですがシンガポールに何かを
しに来たというようはシンガポールという国に行ったことが
なかったのでちょっと行ってみようということで来ました。
事前情報では物価も高いし、住みずらい街だということを
聞いていたので何も期待せずに来ましたが、シンガポールに
ついた瞬間に私はここに住めると直感を感じました。
2016年より以前に仕事で上海に毎月行っていたことがあり
上海でビジネスを拡大しようかどうかを考えていた時に
一番問題だったのはこの国に住みたくないということでした。
もし海外移住をするとするなら自分自身が住みたいもしくは
住めると思える国でないといけないなというのはおぼろげに
頭の中にはありました。
2016年12月にシンガポールに来て、
ここなら住めるかもしれないと思った
私は日本帰国後にすぐに奥さんに話をして、
シンガポールは住めるかもしれないので
家族で一度シンガポールに行ってみない?と誘いました。
こういう突然何かを言い出すというキャラは当時で10年も
一緒にいるとよくあるパターンと認識されていたようで、
それなら行こうということになりすぐにチケットを予約して
翌月の2017年1月に家族で行きました。
そしてシンガポールに来て家族で普通に色々観光していて
オーチャードの高島屋の前あたりを歩いている時に
海外では珍しい光景がありました。
それはオーチャードの歩道を子供が1人で遠くまで
歩いていって楽しそうに遊んでいたことでした。
これを見て私は直感しました!
ここは安全な国だし、住めると。
そこで奥さんに歩きながら質問してみました。
私:この国住める?
奥さん:ここなら住めるね^^
安全そうだしね。
私:じゃあ娘が小学校1年生からここに住もう
奥さん:・・・・はい・・・
この時の奥さんは本当に住むことになる思ってなかったと
後日談で聞きました笑
私はこの時にシンガポールに住むと本気で決めたので
そこから行動に移していくのですが、
この出来事が2017年1月。
この時点ではシンガポールに1人も知り合いはいないし、
ビザのことも全くわからなし、どうやって移住するのかも知らず
新しい挑戦が始まりました。
この日からどうやったら移住できるのかを調べたり、
シンガポールと繋がりがありそうな人にお願いして繋がりを作ったり、
私はその目標に向かって邁進しました。
どうのように移住をしたのか書くと
まずはシンガポールで就労ビザというものを取得する必要がありました。
そのためにシンガポールに会社を設立して、その会社から私に対して
ビザを発行することができる様になります。
私のビザが取得できると、家族用のビザが発行できる様になり
家族もシンガポールに住むことができます。
私は就労ビザなのでシンガポールで働くこともできます。
奥さんのビザは家族ビザなので住むことはできますが
働くことはできません。子供も同じです。
会社設立は手続きをすれば簡単に設立できますが、
当時も口座開設が難しいといわれていましたが、
なんとか開設ができて最大の難関はビザの取得です。
シンガポールのビザ取得は年々大変になっていると
言われていますが、実際のところはどこまでいっても
噂でしかありません。
ビザ取得には条件というものは明確にありまして
就労ビザを取得するためには、
月にいくら以上の報酬を設定しなければいけない
ということです。
あとは報酬以外に年齢、学歴などが対象になるのですが、
ここには明確な絶対的な基準はありません。
そのためビザ取得ができなかった人は難しいというのですが
実際になぜその人がビザ取得できなかったのかは
政府から明確な答えはありませんのでなんとなく噂で
難しくなっているということになっています。
シンガポール政府のスタンスとしては若くて優秀でお金持ちなど
魅力的な人材を誘致したいというのが本音だと思います。
ちなみに私は高卒で当時36歳で一度も就職をしたことがないという
経歴でしたので、条件としては難しい分類だったと思います。
そのための対策としては、いくら以上の報酬が必要という
条件があることは書きましたが、当時の必要報酬の2倍ぐらいを
設定して申請をしたところ無事に取得することができました。
私の場合は就職はしたことはありませんが、
会社経営が当時で15年目ぐらいでしたのでそこを評価して
もらえたのかもしれません。
申請時には会社の決算書など会社関係で必要な書類も
色々ありました。
個人の必要資料だと高校の卒業証明書(英語版)などもあり
久しぶりに高校に連絡したのを覚えています。
そんなこんなで2017年1月に家族でシンガポールに来て
移住をすると決めてから、2年3ヶ月後の2019年4月に
予定通り家族みんなで移住することができました。
名古屋という土地では娘は育てられないと感じて
次に思いついたのはシンガポールへの移住。
シンガポールの教育が良いからとかよりも
日本ではないところで育てることが大切だと思った結果
たまたまシンガポールに辿り着いたのです。
ちなみに私も奥さんも英語は話せません笑
今振返るとなかなか無謀な挑戦をしたなーと思いましたが
初めてシンガポールに来たときに
私たちの住む場所はここだ!
と思った直感を信じて良かったと思います。
実は初めてシンガポールにきた2016年12月は
子供の教育環境とは別に
人生最大の悩みと言っても良いほど
大きな悩みを抱えていました。
この悩みを解決できたのもシンガポールに来た時に
解決策を思いつき解決しました。
この話は別のブログで書きますのでお楽しみに!